〈動き出す秒針〉 Phantasmal Overture vol.8

読み:うごきだすとき


初演:2016年 Preceマンドリンオーケストラ(委嘱)

改訂初演:2021年 Preceマンドリンオーケストラ
編成:1stマンドリン/2ndマンドリン/マンドラ/マンドチェロ/ギター/コントラバス/フルート/(メトロノーム)
演奏時間:約16分

 

【曲目解説】

 本作品は、東日本大震災復興5年を期に、委嘱を頂きました。被災地では、都市部を中心に復旧が進んだ一方で、周辺部では被害の爪あとが未だ残っている現状と聞きます。そして、大切な故郷や大事な人の命を奪われ、癒えない心の傷を抱えている人も、たくさんいることと思います。あの日から今も心の時間が止まっている被災者の方々が、震災の記憶は決して消えることはないとしても、前を向いて新しい一歩を踏み出して欲しい。本作品は、そういう祈りの気持ちを込めて書かせて頂きました(2021年に初演団体であるPreceマンドリンオーケストラ様の10周年記念で再演の機会を頂き、その際に楽曲の細部を改訂しております)。

 作曲にあたり、一つの物語が浮かびました。舞台は山奥の小さな時計工房。既に現役を引退した老時計工のもとに、かつての「どんな故障でも治してくれる」という評判を頼って、一人の女性が訪れます。彼女が持ち込んだ夫の形見の懐中時計は、震災の日に故障してから、どこの修理工でも手に負えず、5年の間、時を刻むことはありませんでした。女性の切なる願いを聞いた老工は、もう一度だけ工具を手にすることを決め、見事に修理を果たします。再び動き出す秒針――1秒1秒を刻み始めたその音を聞き、過去を振り返ることしかできなかった女性が、未来へ向けて歩いていく決意を固める、というストーリーです。

 作品の構成は、第一主題提示(緩)→第二主題提示(緩)→両主題変奏(急)→第一主題再現(緩)となっています。第一主題提示部の冒頭では、時計工房の情景を表現するため、四分=60の速度でメトロノームを鳴らし、各パートの様々な特殊奏法を活用しました。その後、メトロノームの音を背景にしながら、メトロノームとは異なるテンポで2つの主旋律が重なり合って登場します。第二主題は、平穏であった過去への女性の思いを表現しています。委嘱元のご希望で、各パートリーダーの完全な独奏、あるいは独奏同士を重ね合わせて主題提示する形としました。テンポが上がる変奏部は、忘れえぬ震災の記憶を描いています。主題再現部では、再度メトロノームが導入することで動き出す秒針をイメージさせ、未来に向かっての賛歌を歌い上げます。

 本作品の作曲中に、熊本地震が発生し、多くの被害が出ました。当初は、東日本大震災の被災者の方々に捧げる作品でしたが、熊本をはじめとした九州の方々への思いも込めさせて頂きました。いつの日か本作品が東北や九州で演奏され、被災された方々の未来への一助となることを祈っております。

 

 なお、本作品の頒布にあたっては、委嘱の経緯から、通常のスコア料金に加えて震災復興団体への寄付金を頂くことにしております。詳細はお問い合わせのメールへの返信内でお伝えしますので、あらかじめご承知置き下さい。